母語不自由
はじめまして。
ツイッターもインスタも続かないSNS不適合から立ち直るべく、ブログを始めることにしました。
何故続かなかったのかに関しては思い当たる節が多少あります。まず、
1.キャラ設定がむずい
ツイッターにキャラもくそもないだろと言われたら「ぐぬぬ」でしかないのだが、これは非常に重大な問題(ライム)。
実生活でキラキラしている輩は鬱イートをしても「○○さんでも辛いことってあるんだなあ」、幸せなツイートをしても「△△さんは私生活もすてきなんだなあ」、面白いことを言おうものなら「××さんって意外な一面もあるんだなあ」である。
だが、ここで提示したい自分の問題点は、半隠キャ(実際は8割くらい隠キャ)故に世間からの風当たりが強くてSNSできない>< というような問題ではなく、
まず同じ土俵というか同じサービスというかむしろ同じインターネッツ上の土俵に塩を振りまこうだなんていう前提を捨ててようやっと問題の端緒を開ける。
私の役割は常にこの「○○さんって~」の「」でしかないのが問題なのである。
常に「」。
自ら発信したとしても、光るツイートのすぐ下で「眠い」とかほざくやつであり、複数人がタグづけされた#いつめん #面白すぎ #omotesando の下でただただ飯の写真に #おいしい とかつけているやつである。細胞でいうところの細胞質基質。細胞質から細胞内小器官を除いた部分(編集注:special thanks to ウィキ)。
これじゃああの永遠に続く縦長の隙間をちょこちょこ埋めているだけでキャラなんてないのである。
自己顕示欲がある隠キャってだるいわ~プークスクス
と批判されかねない(見てくれている人がいる前提で書く厚かましさをお許しください)ので、煽り耐性が比較的低い自己の性格を鑑みて予防線をはっておくと、
まず10割隠キャじゃない。
それはおいといて、こう、あの縦長の中でマステの微妙な柄の部分であることが、カラオケで煩わしいCメロであることが、「確かにタイムラインにいたよね」であることがちょっと耐えられないのである。別に誰かに認めてほしいわけじゃないが、全体の中で無為に存在するのを知っていて投稿するくらいなら日記書くわ(鼻くそ投げる)
2.もう疲れた
SNSに疲弊しているというメッセージと、1を書くだけで割と消耗してしまったというメッセージを下宿先の小さな部屋から心より込めて(前書き風)
SNSにはキラキラな核とSNSに特化したお局ポジのミトコンドリアと私aka細胞質基質と(編集注:もう細胞の知識が涸れたのでやめました)キラキラになりたみが抑えきれない、間違った向上心を持った輩がいる。
何故充実度をアピろうとするんだ?何故潔く普通の投稿ができないんだ?
料理の巨匠ゴードン・ラムゼー氏だって言っていたよ、"busy idiot"と(氏の毒舌シャウティングが光る冠番組キッチン・ナイトメアより)"You're working hard in the wrong places"。
見てると疲れてしまうのよ、外国語キャプションとか。
これに関しては機会があれば別の記事でもぶつけたい(今後の研究の展望)。
ここまで書いて1301文字らしいです。ブログ書くのって大変ですね。
何が言いたいかというと、ブログが自分の肌に合うと良いなあってことです。
就活を初めて振り返ると、黒歴史を闇に葬り去り、その経験からリスク回避のためにツイッターをやめて以来
自分にはその時々に考えていたことを思い出すための糸口がないことに気づきました。
これからはこの20ピー歳という歳に自分が何を考え、今後どう変わっていくのかを記録しがてら、文章力を上げて、インターネッツに無為なものではなく、せめて自分にとっては有意なものを残したいです。
早くつけ文章力、ESに間に合わない。